レッスン・発表会

先生には「わからない」が、わからない

天才が凡人に教えるということ

私のメンコ先生は天才だ。
目の前でいきなり、
足をカタカタ〜、シュルッ(回転)!
カタカタカタカタ~~(さっきのカタカタの変形)、シュルッシュルッシュルッ(3回転)。
「ハイ!やってみて!」
うぅーむ。。。頭が真っちろちろ。
腕の動きもついてたぁぁね。。?

「え?何?
このクラスのみなさんは、見てすぐに出来ないとダメよ。
じゃ、グアヒーラちゃんから1人ずつね!ウナァイド!」
・・・生け贄の儀式、来ると思ったよ。
私は2列目の端から2番目に居るのに、なんで私からだよ?

もう慣れたけど。
メンタル図太くないと、続けられない。。
(これ、ある意味、私への特訓なんです。それに、最初に私がある程度やって後の方たちにヒントを与える事にもなる。さらに、グアちゃんできてるやん!という生徒間の負けず嫌いのメラメラ炎を起こしてもっと練習させる。軍師の戦略。)

ひと通り、やり終えると先生は・・・
「そう。なるほどね(沈黙)。」
「わかりました。私もまだまだだわ(私の教え方がマズかったわ)。」

すす、すみませんっ!!!!!

そうして、1つ1つ、先ほどの抜き打ちテストを切り取った解説レッスンが始まる。
私たちは1時間で、なんとかマスターする(しかし翌週には記憶喪失になる)。
しかし、先生の理想はガラガラ崩れたらしい。

翌週、運良く?代教の先生が来たりする。
・・・天国じゃ天国じゃあ~。

大先生と代教先生の違い

「代教先生!
先週大先生に教えてもらった所、私たちどうもおかしいんです。」
代教先生
「うん聞いてるよ。なおそうか。とりあえず、やってみてくれる?」
そして代教先生は私たちをあらゆる角度からガン見し、頭を抱え、ごめんごめん、と、笑ってしまう(仔羊たち一生懸命やってるけどやっぱりオカシイ)。

その後、代教先生の具体的な修正が始まる。
「ここは腰は正面。上半身と一緒に腰も動かしちゃダメよ。」
「ストップ!今、重心どこに乗せてる?ねじれてない?」
「コンパスとれてないね。きっちり裏に入ってない。右半分の人はパルマしてあげて。互いに良く聞いて、見て。やり直し!」
代教先生はきっと、努力と苦労の人である。

一方、大先生は天才だ。
天才に、凡人の悩みはわかるまい。
生徒間でも良く話す話題なのである。
天才が「感覚」で教える部分を、
代教先生、サブ先生は解剖して噛み砕いて、私たちにヒントを与えてくれる。
大先生は良く
「私ももっと反省しないといけない」
「もっとみなさんのことを理解しないといけない」
という。
その結果、諦められてしまい、歴代の先輩たちが習ってきた踊りが、簡単なバージョンに変更されてしまったりする。
3回転がただの1回転になったり、複雑な足が簡略化されたり、ひどい時は1部分全てカット。

発表会の度に、先輩たちの踊ったあの曲をいつか私も!と思う。
そしてついに、自分もあの憧れの曲が習える!
と思いきや、かっこいいあの場面がカットされている!なんてこととしばしば。

ショック。
自分には、それができないんだというショックと、
先生は、諦めてしまったんだなというショック。
生徒「やりたいんです。やらせて下さい!」
先生「できるの?みなさんができないから、変えてるの。今できない人には、できないのよ。」
天才の先生には、私たちの「わからない」がわからない。出来ない、のが、わからない。
私たちが出来ていないのは事実。
そして、クラス全員が完璧に出来るとは言えないのも事実。

習い事ではあるけれど、こういうの、すごく悔しいです。
みなさんは、こんなジレンマ?というか、
いくら練習しても出来るようにならない苛立ちや悔しさをどうされてますか???

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